雑記

オチがついて落ち着いた地下鉄の席譲り

更新日:

こないだの地下鉄で席を譲った話のオチがなくてなんとなく歯がゆかったのですが、なんと!オチがつきそうです。

とは言っても非常に残念なことに楽しい感じの話にはちょっとならなさそうですね(汗)
そういうのが苦手な方はぜひ他のちょっとクスッとできそうな記事読んでってください!!

 

というわけで、前回の記事で

 

 

ちょっと。。。え?

 

 

みたいのことを地下鉄で言われた、というのはこちらで書きましたよね。

 

地下鉄で席を譲った私に驚きのアドバイス。

最近なんだか涼しいソウルです。 日本にいる娘も涼しいといっているのですが、日本も涼しいのでしょうか?? こないだやっと市場の夏休みも終わり、久しぶりの仕事だ♡、と地下鉄に乗りました。 電車はピークは過 ...

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でもこんなの韓国では今に始まったことでもないので(笑)そんな気にするようなことでもないんですが、なんか気にかかって何度か思い出しちゃったりしたんですよね。

 

 

なんでだろう??なんだったんだろう??

 

 

って。
なんかやたら引っかかってくる!!
そんな折、地下鉄の座席のことを思っててふと思い出したことがありました。

 

もうかれこれ15年近く前になります。

1番目がお腹にいたときです。

当時、デキ婚ではなかったのですが、ちょっと裏切られた、というか、ホント手段選ばないんだな、という感じで子どもを授かりました。

もし、赤ちゃんを心待ちにしてるのに、なかなか来なくて、という方がいらっしゃって、傷つくような記事になってしまっていたらすみませんm(_ _)m

子どもがどう、というよりはちょっと裏切られたことに心の何処かが反応していたんだと思います。すごくね、当時の私は心がかなり傷つくような形で授かっておりました。
(わざとそうし向けたと何年か後に認めてましたし。)

当然胎教とかホント良くないですよね。しばらく泣いて暮らしていました。

そんなわけで、ホルモンの分泌とかも変わってきてて不安定な中、気持ち的にも非常に落ちてた妊婦でした。

 

あ、一応ご報告しますと本当にありがたいことにとってもいい子に育ってくれてますよ。
いい子に語弊があるなら、健康で、本人はいろいろなことに迷いながらも、自分でいろいろ選択をするということを学びながら、模索しながら今日も元気に生きてくれてます。
私にはなんでも(本人が話してもいいと思う範囲内で)うるさいくらい(笑)話してくれますし、腕組んでくるくらいにはとっても仲いいです。
よく手もつないできたりもするんですが、恋人つなぎで手を握ってくるので、時々

 

 

いいのかな?なんか言ったのほうがいいのかな??(; ・`д・´)

 

 

という気にもなりますww
なかったことにできない部分も見えないところであると思いますが、結局のところ私自身が世にいうところの完璧な人というもんでもないので、変に偏ることなく、悩みを持ちつつもすくすくと育ってくれたことに本当に感謝です。
でも、胎教の重要性を唱えられていらっしゃる方からすれば、本当に良くない影響がいっていたと思います。

だからといって悪いことが悪いまま、というわけではないらしいのですけどね、多分。
もし悪いことがあるというのなら、悪いことすらも乗り越えていけるような経験を一緒にすることがきっと私のすることであり、また本人の意志であり、というか。

 

話を戻しまして、お腹が若干出てきたころのことです。
その日は結構歩いていたので腰のあたりが重ーーーーくなってきてました。

普段わりと体力ある方なので、優先席の方に座ったりすることは全然ないのですが、その日は本当に辛く、ちょうど空いてるところがありましたので、

 

妊婦だし、今日は本当につらいし、いいかな

 

と思って優先席に座らせてもらいました。

当時は、東大門運動場駅という名前だった駅から電車に乗り、そこから新村までの区間なのでそれほど長い距離ではありませんでした。でも、それでも座っていたいと思うほど、体がだるい状態だったんですね。
座らせてもらって、ほっとしていたところ、いくつか後の駅で乗ってきたおじいさんが座ってる私を見るなり、杖を振り回しながら私に向かって声を荒げてきました。

そのころは今に比べたら韓国語もできなかったですし、ご年配の方の話されることは正直よく聞き取れませんでしたが、まぁこういう状況ではあれですよね。

 

若い人がなんでこの席に座ってるんだ

 

と私に言ってたんだと思います。
(当時は私も若かったわけですよww)

横にいたおじさんがまぁまぁ、みたいな感じでそのおじいさんをなだめていたのも覚えてます。
優先席には3人座ることができるのですが、私はその時その真ん中に座り、おじいさんはその反対側の3人掛けの席の真ん中に座りながら私に杖を振り回していました。まさに目の前。

タイマンですwww

 

 

その時私は、おじいさんが何を言ってるかよくわからないということもあり、何も言わず、ぼんやりおじいさんを見てました。

もうすでにこのへんで心が若干死んでますねww
外国人だし、もう体力もほぼほぼ限界ゲージに達してたので、韓国語で色々弁解する余力は私には全く残ってませんでした。

 

もうすぐ降りるところだったということもあり、放置してましたが、でもいわれっぱなし、というのもいやだったのでしょう。
降りるときには最大限お腹を突き出して

 

私妊婦です!!!

 

 

って見て誰が見てもわかるような突き出しぶりで周りにいた人たちにもアピール。
地下鉄を降り、こんなことあったと笑い話にしました。

 

もう一度いいます。

 

 

笑い話にしました。

 

でもそんな笑い話にしてしまったようなことを今でも覚えてるんですよ、私。おじいさんの杖の色から、帽子まで。

結構鮮やかに。

 

 

これって全然私の中で笑い話になってなかったんですよね、きっと。

悲しかったし、辛かったし、嫌だったし、しんどかったし、泣きたかったんだと思います。

でもそんな気持ちはなかったことにしてずっと来ました。心の中のなかったことの箱に入れてたんですね。

結局のところ、こういう状況を生み出していたのは私自身だということは今はね、当時とは別な意味で分かってると思います。
ただ、当時もこういう状況にYESを出したのは紛れもない自分自身だ、ということは理解はしていたと思います。
(ただ、今よりは他人のせいにしていた部分は大にしてありましたが)

 

そんなことを今回の地下鉄の件で思い出してたら、知り合いがこんな記事をみんなに紹介してました。

 

ブログはこちら→

 

 

あーーーーーーー。これか。

 

 

 

となんとなく、思いました。

心の掃除、もうしてもいいころだよね。ということなのかもしれません。

 

なのであの時頑張ってた私を思って5,6回泣きました。

自分がかわいそうだと思いたくなくて、

自分は大丈夫だと思いたくて、

ネガティブに思いたくなくて、

悲しんでると思いたくなくて、

なんでこんなつらい思いをしなきゃいけないの?なんてまるで他人のせいみたいなこと思いたくなくて、

こんなことくらいでくじけるようなそんな弱い自分だと思いたくなくて、

 

私心弱いのに、そんな自分だと思いたくなくて全部なかったことにして、その悲しかった気持ちをすり替えて、でもすり替えきれなくて心にたまっていたことを思い出したので、昔の私の代わりに泣くことにしました。

 

うんうん。俺の胸で泣けよ、みたいなね(笑)

 

 

それくらい泣いてるとそのうち涙も出てこなくなりました。

 

 

ちょっとね、落ち着いたみたいです。

 

 

へーーー、涙も出てこなくなるんだ

 

 

と結構客観的です。
まぁ、今の私が悲しいわけではないんでね。
ある意味自分のことでありつつも、結構他人ごとですww

それに、その辛さが私にくれた恩恵もわかるので、その感情に浸ってしまうというのではなく、ただあったものにスポットライトを当てて、流すよう促してるところです。

一度持った感情をなかったことにしてずっと閉じ込めてたものを今さら感満載ですが、よっこらしょと引っ張り出してきて、日の目にあててみた、といったところでしょうか。

これくらいで掃除になってるのかわからないし、もしかしたら色々深くて、まだまだこれからなのかもしれませんが、とりあえず一歩は進めたのかな、と思います。

 

そして今地下鉄の中なのですが、つり革につかまってこれを書いていたところ、目の前に座っていたおばさんが

 

 

あそこ席空いたわよ!!!!!!

 

 

 

と、カバンをぐいぐい引っ張りながら私に教えてくれました(笑)
こういうおばちゃん韓国には結構いらして、おかげで何回かありがたく座らせていただいてます。

 

悲しい思いをしていた当時の私も、怒って杖を振り回していたおじいさんも、あいた席を教えてくれるおばさんもすべて

 

ただ、そんな事実があった

 

 

というだけのことです。
そこに意味づけをしていくのは私なだけです。

その時に、単純によく見えるほうだけを向いてしまうのではなく、マイナスに思った自分も受け入れられるだけの度量を、人としての器を、他人がいいというモノではなく私に合ったやり方で少しずつでも広げていけたら、また違う世界が見えるのかな、と思えるようになったら、じゃあもうちょっとその一歩先をみてみたいな、と思うようになりました。

 

それは、なんていうか知的好奇心に近い感覚かもしれません。

 

これを知ったら世界はどう見えるんだろう。なんか、もっと上の感覚で生きている人たちはどんな景色を見てるんだろう

 

という好奇心がわいてきます。
あ、私の場合はたまたま下のほうにはあんまり興味がなかった、というだけですので、下のほうに興味があってそちらに対する知的好奇心があっても全然いいと思いますよ!!横とかね。
その辺は単なる方向性、というか。

 

そんなわけで、色々手放さなければならない記憶があるのかもしれないなーーー。

なんとも思います。
そしてそんな記憶と丁寧にしっかり向き合えるかどうかは、自分の目の前に起きていることをどれだけ大事にできているかということも重要なんだな、というオチが付いた、という話でした。

 

これもこうやって書けるようになったところを見ると、私の中で整理が付いてきているということですよね。
あんまり人に頼るとかできないタイプだったので、すごくしんどかったことをやっと人にしんどかった、(まだ現在形だったらは言えないかもですね。)といえるようになったのが、去年くらいからなんですが、それによって、色々世界が変わってきました。

上の世界の住人は全然違うやり方で、色々解決できるのかもしれませんが、今まさに階段を一歩一歩踏みしめながら、コツコツと変えていってる私としてはいろいろなプロセスを通して、自分を知るプログラムがあるようで、今は多分さらけ出すところをしてくのが私の中でも課題の一つなのかもしれません。

正直、こういう中に入れていたことをさらけ出すのって、私みたいなタイプは気質的にも結構しんどく感じるんですが、できないことをできるようなれるよう心を自分でえぐってみないと、しんどくても出してかないとだめですね。

 

 

 

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