ヒプノセラピー養成講座でのクライマックスに向かうための準備

一連のヒプノセラピーの記事はこちらです。

養成講座は朝から夕方までびっちり行われました。

もちろん講義もあるし、セラピストとして誘導するための知識も入れておいたほうが誘導がよりスマートにできますので、学ぶべきことはあるのですが、






自分もクライアントとして自分の心に向かい合うこと







もとっても重要なこと、というか、これ目的でこの養成講座を受けている人もいるくらいなので、時間的にはたっぷりとっているものの、ぎゅうぎゅうに予定が詰まっているというやり方ではありませんでした。

その時のメンバーの様子に合わせてくにこさんが進行をしてくれています。

講義的なところでいうと、催眠療法を行うときにみられる反応の仕方にはいくつかあって、人によってそれぞれ違うんだということも習いました。

私は視覚型と呼ばれるもので、映像がよく出るタイプなのだそうです。

確かに、とにかくいろいろ見ます。ほかには

感覚で感じる方



体感で感じる方など




それぞれパターンがあって、自分と違うパターンの人とセッションをするときには、相手がどんなものを見ていたり感じたりしているのかよくわからないので、そんなのもお互いにセッションをしながら学んでいきました。

講義の進み方としてはちょろっと理論を学んで、


じゃあやってみましょう!(^^)!



みたいな感じでセッションが始まるものですから、最初はもうみんなしどろもどろ(笑)



え。。。。や。。。今から??



みたいな感じで、もう1日目から実際のセッションが始まります。



あれ??

私確かこれを順に読んでください、みたいなことしか教わってない気がするんだけど大丈夫・・・なの??





と不安極まりないです(笑)

もちろんそれは、くにこさんが回ってそれぞれチェックしてくれるので、最終的には問題はないんですが、する方もされる方も




これ。。。。だよね??






みたいな感じで、お互いを支え合ってる一体感も半端なかったですww

でもホント、不思議といえば不思議なのですが。

そんなもうほったて小屋みたいな、ともすると柱だけみたいなセラピスト相手でも、皆さん何かを見たり感じてたりしてるんですよ!!

すっごい不思議!!

それぞれの潜在意識と顕在意識が、微妙にミックスしながら不思議な体験をしていきます。

しかしこれもくにこさんの今までの経験と知識があってのことですので、大丈夫という裏付けがあってのことですからね!!講座のほうはもちろんすごくいいのです。

そしてセッション終了後、それぞれのセッションでどんなことがあったかを、3ペア(6人)で一緒に養成講座を受けていたので、シェアをしていきます。

このシェアも結構重要で、自分のペアでない人のセッションを聞いても自分が はっ!! とするようなことがそこここでおきます。

例えばそれはどんなことかというと、家族のこととか、自分の意識の持ち方とかで

私もそんな風に感じてたとか



それはいけないことだと思っていた




など、聞いていると、聞いているこちらまで自分の思い込みに気が付いたり、一緒に癒されていったりするようなことがそのシェアの時に起きたりするのです。

ヒプノセラピーが本当に「心を取り扱うセラピー」なんだと感じる瞬間です。

心を扱うお医者さんや精神科の方などもちろん患者さんのために、日々熱心に治療に取り組んでくださっていると思いますが、こういった



心っていうのがどこにあるのかはわからないけれど、みんなの話を聞きながら何かに撫でられてる感



が日常の治療などでもあるのかどうか、よくわかりません。

それは心地よくて、すごく静かで、乱暴でなくて、本当にわずかな感じです。

本当にだれも気づかないような、気づけないほどわずかなその振動のようなものが、体に作用しているのを感じます。

あ、シェアをしているときやセッションをしているときにはわからなかったですが、こうして振り返ってそれを言葉にしてみようと思うとそんな感じです。

あったかくて、やさしくて、いうなれば愛みたいなものが流れている感じです。

その場では日々、みんなとの関係をよくしようと、一緒にいるときにはみんなに喜んでもらえるような自分でいようと身に着けていた技術や反応には、よく頑張ったね、というねぎらいが

相手を傷つけないように、そして相手が傷つくことで自分も傷つかないようにと、自分で着ていることにも気づけなかった鎧には、それを外してもあたたかくあなたを受け入れてくれて、ちょっととがった私でも大丈夫だといってくれる人たちがあなたの周りにはいるという、福音のような気付きがやってきたりします。

それも鎧を着たことがなければ気づけなかった事実です。

あるからないことに気づけ、また、ないからまたあることに気づけるんですよね。

そうやって私たちは何回も生まれ変わりながら、いろいろなことをいろいろな立場に立って学んでいるのかもしれません。

そう思えてくると、相手がちょっと自分と違った感じの人でも


あ、今あの人はそんなことを学んでいるんだな。



とちょっと落ち着いた自分で相手を見ることができるので、自分の心が以前よりも揺らされなくなるように感じます。

目次

セッション中に私に起きたいろいろなこと

セッションは今回の5日間の間に、「リラクゼーション」という催眠誘導の練習まで入れたら5回あったのですが、その中で、箇条書きにすると私にはこんなことがおこりました。

○一度セッション中に首のあたりが詰まるような感じがしてきて苦しくなる

○頭がものすごく痛くなってくる

○その頭の痛みのせいで吐き気を感じる

○自分のセッションにあまり集中できない

○何となくもやもやとしたものがあって思考をぼんやりさせている

○リバーシング的なものも見ることができました

みたいなことがおこりました。

頭が痛くなってきたのはたしか3日目からで、4日の朝にはよくなっていたものの、セッションに入ったらものすごく調子が悪くなってきて、お昼ごろには多分痛みのせいで吐き気もやってきました。

これは、ヒプノセラピーを受けているとまあまああることのようで、あまりにもひどいようだったら薬を普通に飲んで痛みをおさえてもいいということでした。

最近は頭痛なんてあんまり感じたこともなかったし、そもそも体調が悪くなることはちょっと働きすぎたな、みたいなことでもない限りなかったので、久しぶりの体験でした。
基本、めっちゃ健康なんです(笑)


首のあたりの苦しさは、セッションの中で断頭台にかけられたイメージや、自分の首が切られるイメージが出てきたあたりで苦しくなっていたので、その辺が理由なのかもしれません。

門を守っていたところ、突然予想もしなかった敵がやってきて、門を守っていた私は首をさくっと切り落とされたりしている場面があったのですが、セッション中は本当になにかロボットがその映像を見ているっていう感じで、そこにあんまり感情が入らないことが度々あるので、





あーーーー、今さくっと首切られましたww





とか説明している自分がいたりします。視覚型の特徴だそうです、多分ww

あと、これは私由来のところだと言われたのですが、何人かで、一緒にセッションをしているので、もちろん多少距離は置いているのですが、隣の人の声とかが聞こえてくるんですよね。それが自分がクライアントとして受けているときには気になってしまって、何となく自分のセッションに集中ができないことが度々ありました。

私首切られてるのに、隣で



お母さんになんと伝えたいですか??




とセラピストさんがクライアントの人にいってるのが聞こえてしまって(笑)





私、首切られてるけど、お母さんって、いやなんかどうしよう・・・






みたいな感じで、意識が若干しっかりしてる感じというか。

なので映像もなんとなくぼんやりした感じで、いまいちみかりんとした時みたいにストーリーの集中できない状態でした。

なので、その点についてくにこさんにきいてみたところ、




この場はある意味社会だから、なみちゃんが、自分とそれから自分以外のものを分けるのに時間がかかるのかもね。





というようなことをおっしゃいました。

これはもちろん慣れの部分もあると思うのですが、ほかの人は置いといて、自分のことに集中するということをもう少し練習するといいのかもしれません。

あ、ちなみに現実の動いている私をご存知の方は、私が周りに気を使いすぎて何もできないタイプだったり、周りのことばかり気にして、周りばかり優先しているタイプでは





全くないことはよくご存じだと思いますww


遠慮をしないわけではないけれど、お互いに気を使いあって、何かわけわかんないことになるほうが余計めんどいわ!!



と思うので、ま、平均的に生きてると思われます。

でも、そんなことが起きてたりもするようです。不思議ですね。

そんな感じで、セッション中は見たことを淡々と言っているのですが、セッションのあとシェアをしているときに、その時の映像を思い起こしながら、



抱いているこのクマのぬいぐるみがなくなってしまったら、と考えるだけで襲ってくる壮絶に悲壮な感覚





に、胸が詰まって涙が出たりします。あと




鶏小屋を照らす朝日のまぶしい光と温かさ





に何とも表現しがたい感動を覚えてやっぱりぐっとくる。
見てるときは、あ―――朝日が素敵ですとかって、しれっと言ってたけど。

みたいなことが私にはおこりました。

ほかのみんなの話を聞いてると、もうその場で考えが変わっていたり、家に帰って子供を以前よりも抱きしめてあげることに抵抗がなくなったとか、何かしらの変化がもうすでに始まっていたりする人もいます。

そんなわけで何となくもやっとしたところがあったり、体感覚での反応が痛みという形で現れたりといくつかの変化はあったものの、おおむね特に際立ったことは私には起きませんでした。

あ、この痛みとかももちろん重要なものだということです!!

普段使わない筋肉を使うと体が痛むのと同じような感じで、普段使っていない回路を使ったから痛みを感じるんだということでした。

そういうことはセッションを受けなければ起きなかったことなので、特別なことではあるかもしれませんが、特筆するようなことはこれといってなかったんです。

最後の5日目のセッションをするまでは。

5日目のセッションは、私にとってちょっと特別な体験であったことは確かです。

でも今もこれでだからどうなった、というようなことは正直わかりませんし、感じるところもありません。

行動が変わったとか、考え方の方向が若干かえられたとかそんなことも起きてないと思います。多分。

でも、このセッションは私にとって、いつもの私とは違う体験になったということは事実です。

その5日目のセッションに関しては次に書きたいと思います。

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この記事を書いた人

まだ、東アジアの情報ばかりですが、いつかはもっとワールドワイドな感じでの情報発信がしていきたい!と夢見てる人が管理人のサイトです。

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