自分が想像しているよりずっとずっと心の負担になっていること

以前別記事でも記載しましたが、セッションという形でお話を伺わせていただいたり、相手と二人で話をしていると、自分では本当に意図していないのですが、その方が心の奥にしまっておいたことをつい引き出してしまうことがあります。



普段話をしているときに、根掘り葉掘り聞くことってそんなにないんですが、(セッションは場合によってはききます)何の作用か聞いてしまったりします。

あの、本当に出したくないものは、出してもらわなくても大丈夫です。

本当にいいですし、やっぱり人には言いたくないこと、言えないことってあるじゃないですか。

当然あると思いますし、私自身は無理に聞き出すことはしないですし、もし必要なのであれば、準備が整ってその人の時が満ちるのを待ちます。

やっぱりタイミングってあると思うんです。


なので、無理やり心の中を暴きだしてきいてやろう!

みたいなことはしないのですが、そういうものを心に持っているとどんなことが起きるのかな、みたいなことはちょっとだけ知っているといいかもな、と思ったので、お伝えさせてください。


目次

人に言えないことを持っていることってどんな状態?


誰にも言えないようなことって、その瞬間、もしくはあるタイミング、何かの理由で


これは人に言ってはいけないことだ。言わないでおいた方がいいに違いない。

と、その当時の自分が判断したことですよね。

つらい、苦しい、恥ずかしい、悲しい、これを言ってしまったら惨めだ、わかんないけどいっちゃだめなんだと思う、引かれそうで言えない、理不尽すぎてどうしたらいいのかわからない、あまりにも衝撃すぎてもう自分の行動規範がマヒしてる、おとしいれられた感ハンパなさすぎて絶望、いい人のお面かぶりすぎて脱げない、そもそも子供のころから過ぎて多分判断基準がバグってる

などどんな気持ちだったかはわかりませんが、その時の自分にはちょっと負担だったり、強すぎる感情だったりして、受け流すこともできないし、かといってそれを表現してしまうこともできない。

そんな感情や出来事があってぐっとこらえてしまうことがあったとき、そんなことがあったことを思い出したくもなくて、心の奥のほうにいったんそれを閉じ込めてしまうことがあります。

その場を穏便に済ませるために、荒れ狂うような感情をぎゅっとかくしてしまったり。

それを意図的にするときもあれば、もう無意識レベルでやってるときもあります。

私はそれを「なかったことの箱」と呼んでいるのですが、そういう心の負担や重圧になるようなことは、私はとりあえずその箱に感情やその感じたくない感覚をいれて、「なかったこと」にしていました。


出来事やその事実をなかったことにするわけではありません。

その時の感情や感じたくなかった感覚を、何かの理由で一旦、なかったことにします。

本当に感じたくない感覚ですので、ふたが開かないように、その感覚をまた感じてしまうことがないように、それはそれは強い力で、無意識的にそれを閉じ込めている箱の蓋が開かないように押し付けていました。

そうなんです。


なかったことにするにも力が必要なんです。しかも人によっては割と過剰に。


無意識ではありますがふたが開かないよう力を使っているので、本来持っている力は100%は発揮できません。

だってふたを押さえつけることに力をとられてますから。



もしかしたら多くの方が、ほかに人につけられた(と感じている)足かせや、自分で作った罪悪感などを背負っていて、100%フルに今の自分のために自分の力を使えていないのかもしれませんし、それが普通なのかもしれません。


でも、やっぱりまずは気がついてほしい点として

あなたが自分の力を日々、その箱をすごい力で押さえつけていることにかなりの労力を使っているのかもしれない

それによって自分の行動がすごく制限されてしまっているかもしれない



というのがあります。

まずは自分を確かめて、知ってみることです。

知らないと自分を変えるという選択も、変えないという決断もできません。

あなたの心の状態はどんな感じですか?

そして、もちろん


えー、そういうのは特にないかな?


っていう方もいらっしゃると思います。

にもかかわらず何か心がもやもやする、という方にはまた別なところで別の処置があるんだと思います。

今回は、心に重しがある方向けの話になります。



年月が経った今、あなたはそれと対峙できますか?


私の感覚からするとで恐縮ですが、「なかったことの箱」はブラックボックスのようになっていて外からそれを眺めることはできません。

中の状態がわからないので、私はただただ強い力で箱があいてしまうことがないように、同じ力で

「ずっと押し続けていなければならない」

と思っています。


だってあんな嫌な思い、絶対思い出したくない!!


と、当時の自分が心のどこかで言っているからです。

その当時の私はショックで「なかったことの箱」を本当に開けたくないと思っていましたから、全力で力を加えることに何のためらいもないのですが、それが1年がたち、5年がたち、10年がたち・・・・

正直その時の記憶はどのくらい残ってますか?

はっきり残ってますか?

ところどころですか?


ところで、記憶はだんだんおぼろげになって行くことが多い中、その時感じた感情は割と鮮明に残っていたりしませんか?

昔見た映画で、内容は覚えてないけどめっちゃ感動したとか、めっちゃ怖かったことは覚えている、みたいな。

感覚ってわりと残ってるんですよね、心に。

でも逆に、昔見て感動したからまたその映画を見てみたら、あれ、そうでもなかった、みたいなことも起こりませんか?


結婚生活だって1年目と10年目では感覚が違ったりもします(笑)

やっぱりなんだかんだ言って、人ってちょっとずつ変わっていきます。

それがいいとか悪いとかではなく、単純に生きて、経験を重ねて、知恵もついていきます。

あなたには年月を重ねることでちゃんと知恵も経験も備わってきていて、昔のあなたとはちょっと違います。

昔感じた感情はもしかしたら今なら処理ができるかもしれません。



昔の重荷どうやって処理する??

できる方は自分でその時の感情をできるだけ細かく書き出して、当時の自分をとにかく否定なしでぎゅっと抱きしめてあげるのっていいなと思います。

抱きしめるのは想像で頭の中でも。それから実際に物理的にも。

最初はなれないですから、書き出していると、変に相手を否定してしまったり、逆に自分を否定してしまったり、過度に自分をかばってしまうかもしれません。

それでも最初は大丈夫です。

多分記憶の箱の方も、突然開けられてびっくりしてますから、色々起こるのは当たり前です。

思い出しては泣いたり、人によっては怒り狂ったりするかもしれません。

でもとにかく記憶の箱から引っ張り出してきて、日に当てて今の姿をよく見てみてください。

そしてその出来事と感情をできるだけ客観的に見れるようになったらいいな、と思います。

そしてちょっとなれてきたら、その気持ちをちょっと遠くにできるか試してみてください。

その気持ちを自分からちょっと遠いところにおいてみる感じです。

その気持ちや形を感じてみてください。

(これはヒプノセラピーでするとわりと自然にできることが多いのですが、通常の状態だとどうでしょうね)

自分からその感情を、遠くにはなせるようになると、わりと他人事みたいに見えてきて、そうなったらいいチャンスです。

もしできる人はその感情を手放してみてください。

まだ無理でしたら、何回かそれを試してみてください。

全然急ぐ必要はないので、あなたのペースで大丈夫です。

だって今までずっと持ってきたものですもの。長い人でしたら子供のころのこととかもあります。

数か月、数年かかることなんてざらです。

でも、だからこそ、今の自分のために少しずつでいいので、心を開いてみてください。




人に話せるようになったらいい感じです

他には人に話してみる、というのはそれだけで結構なセラピーになります。

心の傷ではなく、ただ単純に自分が「これは人に決していってはいけないこと」だと思って箱の中に入れていた人は、人に言うだけでかなり違う感覚になると思います。

もちろん話す人は選ぶべきではあります。

余計に辛くなってしまうような人には決して話してはいけません。

それってまさに傷口に塩を自分から塗りにいくようなものな感じしませんか?

荒療治がしたい人は別ですが、おすすめはしないし、私は多分しません。

人に話すと、実は思ってもいなかったような痛みが出てきたりもしますが、それは時に本当に重要なことだったりします。

「王様の耳はロバの耳」

を昔読んだとき、そんなことくらいで気がはれるわけないじゃん。

と思っていましたし、まぁ多分今もそう思っていますけど、人と話して共感してもらうことができると人ってこんなに安らげるんだ、とヒプノセラピーをしているときに本当に感じました。

今も私の人生のある地点でおこった、私の心を揺さぶる出来事を思い出すと、心が揺れたり、泣いたり、自分を抱きしめたりをたまにしますが、それでもずいぶん楽になっていると思います。

なぜならそれは受け止めてもらえた、という感覚を私の無意識がしっかり受け取ったからだと思います。

ヒプノセラピー養成講座でそれは起こって、実際のところもう感動しかないのですが、ある意味本当に嫌でした(笑)

もう恥ずかしすぎて心が悶絶してましたもん。

でもおかげで、以前とは違う安らぎのようなものが手に入ったと思います。

目に見えるものではないのではっきりとはわからないのですが多分、私の行動規範を変えていってくれています。

より私が安らかに生きられるように。






というわけで。

私のほうから無理にその箱をこじ開けたりはしません。

ただ、タイミングが合って人に言えるくらいにはその問題、その感情と向き合えるようになったとき、人によってはそれを誰かに言って受け止めてもらうことで、

解放

を感じるようです。

心の準備ができてきて、その段階に来ている方とたまたま二人で話をしたりすると、私の場合ですと、なんか相手のスイッチを押してしまうみたいです(笑)

なんていうか、あなたに起こったその出来事(達)が、

百万歩譲ってその痛みや経験はあなたに必要なものだったとして、

それを経験することであなたの無意識は、

自分の成長やそのつらい感覚を感じてみることに喜びを感じていたとして、


でもそんなことに、あなたがいつまでも付き合っている必要はないですよね。

しかるべき準備が整い、

しかるべき時が来たら、

あなたも開放されて、本当はもっとこうだったよな、っていう自分に会ってみてもいいんじゃないかと思います。

自分の心の中を整理したい、そんなときはぜひお声おかけください。

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この記事を書いた人

まだ、東アジアの情報ばかりですが、いつかはもっとワールドワイドな感じでの情報発信がしていきたい!と夢見てる人が管理人のサイトです。

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